いらないねこ

このことばを聞いたとき真っ先にじぶんのことを言われてるように感じた。

 

『いらない』

 

困ってる人を助けたい、力になりたいと思うようになったのはそれを通して本当は自分自身を助けていることに繋がっている。

 

いつも誰かの力なしに生きれない人を自分に投影してみている。

 

だから目の前にいる人は自分自身なのだ。

 

転んで起き上がれないのもお腹が空いてどうしようもないのも

いらないって捨てられることも全て自分自身を助けていることに繋がっている。

 

でもそれでもいい。

 

それでいい。

 

誰かが自分に優しくしてくれた時

 

その瞬間はサプライズのような気持ち。

 

待ち望んでないから嬉しい。

 

それを当たり前と思ってしまうような人間にも期待してしまうような人間にもなりたくないけど

 

甘えがダダ漏れになって溢れ出てしまう。

 

 

ねぇ自分はこんなに弱い人間だったっけ。

 

もう力が抜けて起き上がれない。

 

あぁ〜そうか、こんな弱い自分が本当で

 

いつもは意地だけで泥水啜って這いつくばって立ってるんだった。

 

そうやって生きてるんだった。

 

 

さみしいって感じるのは人から嫌われたからじゃない。

 

いらないって言われたからじゃない。

 

 

自分が自分を見捨てて自分を寂しくさせているからだ。

 

さみしいのは自分を信じれていないから。

 

さみしいのは自分を生きれてないから。

 

さみしいのは楽しくもないのに笑うから。

 

この世に生まれてきたいのちに思うこと。

 

いらないいのちなんて何一つないよ。

 

ひとりひとり、ひとつひとつ違う道をゆくけど

 

自分の歩んだ道を選んだ道を

 

恥ずかしいなんて思わないで

 

 

人に嫌われるより悲しいことは

 

自分を嫌いになること。

 

自分を信じられないこと。

 

人のことばかり考えしまうのは優しさに見せかけて

 

自分の泣き虫に気付きたくないだけ。

 

 

だいすきだよって

 

こんな私もだいすきだよって

 

今は思うけど